松尾國三夫妻寿像

ドリームランドの創設者である松尾國三氏の意思を称えた銅像で
外周列車前広場の花時計跡の裏の方に台座だけが残っている。
閉園時には閉園のお知らせの看板が前に置かれており、
気付かなかった方も多かったのでは。
当時の白黒写真は社内報よりコピーした物。



松尾國三氏の詳細は他の方にお譲りして、ここでは銅像の下にある文章をお伝えしよう。

松尾國三氏は一八九九年(明治三十二年)佐賀県伊万里市に生まれ 家が貧困の為 小学校
三年で旅芸人の一座に身を投じ 辛若の末 志を立てて一五歳で一座の長となり その後
筆舌に●し難い苦難の道を歩まれ 弱冠二十七歳で アメリカ・カナダに歌舞伎興行を
行うまでに成功されました。 
 特に第二次世界大戦後は 日本の一日も早い平和な文化国家樹立と世界各国との
国交正常化を念願し 国内では国民の志気高揚を計って 卓技な独創力と不燃不屈の
実行力によって ホテル・劇場・遊園地その他の各種分野での大型レジャー事業を起こされ
また国外では中国との国交回復へのかけ橋としての歌舞伎使節団(一九五五年昭和三十年)
日米●交百年祭への歌舞伎使節団(一九六〇年昭和三十五年)ソ連 ポーランドへの
文化使節団(一九六五年昭和四十年)等を自ら率いて新生日本のために 大きな功績を
残されました また私財を投じて育英財団や芸能振興財団を設立し 人材育成等の社会奉仕
にも●力されました
 少年時代からの創造に絶する辛酸の中から 今日の大をなされた偉大な 松尾國三氏
並びに氏と苦楽を共にしてこられたハズヱ夫人を我々の関係者はもちろん 今後の日本を
背負って行く青少年の鑑とするため ここに氏ご夫妻の寿像を建て その面影を永遠に
伝えんとするものであります。


一九八二年三月吉日
日本ドリーム観光観光株式会社
同関連会社
雅叙園観光株式会社
松尾芸能振興財団松尾育英会
役員・理事・従業員一同







実物写真より書き出してみたが、一部腐食と思われる脱字と変換不能な文字
(私が読めないだけだが)により、不完全文章となった事をお詫びします。




銅像はダイエーにかわってから撤去され、台座だけが残った。
同氏を知る関係者によると、本人は銅像より小さかったらしい。



バックは日本経済新聞の記者とのインタビューに答える大変貴重な記録。
松尾社長は園に来ても、2階の社長室からほとんど出ることが無かったそうだ。




製作中の様子