メモリアル資料館のもう半分は開園当時からの写真が貼られていました。(現在中には入れません)

開園当初の資料などが貼られた展示は大変貴重なもので、華やかだった当時の姿を伺うことが出来ます。
当時の園内マップを拡大してみますと、現在まで残っている遊具は唯一ジェツトコースターだけのようです。そのジェットコースターのある山側をスポーツランド側
逆にサル山のある方を動物園側と言われています。みさき公園駅は園の開業に合わせて改名したもので、それまでは南淡輪駅でした。
現在のイルカ館のある位置には自然水族館があり、当時憧れだった水中散歩も出来ました。また2階ではイルカショーが行われ、今では考え付かないスタイルでした。
晩年は2階部分に少しの(水槽10個位)展示があり、1階は柱を残したままマリンアドベンチャーとして使われていました。前述のスポーツランドと観光灯台の間には
ロープウェイがありました。廃止後も長らく駅舎のみ残されていましたが解体され、トイレの横に基台のみ残っています。モノレールはキリン舎の位置が変わっていないので
サル山へ向う道沿いにあったと推測しています。観光灯台の下に見えるエスかレター見たいなのはスピードロードと呼ばれる動く歩道で、写真を見る限り下が料金所で
登り専用だったように思えます。後に撤去され現存しません。飛行塔は開園当初からあった遊具でジェツトコースターの機械室が今と同じなのでみさき要塞の前に
あったようです。現在でも広く空地となっています。ジオラマはぷーるらんどRioがあった付近と思われ、現存しません。時がバブルの頃に集客の起爆剤となった
宙返りコースタードルフィンは1980年に完成し、高さ30m、円の直径が20mあり、そびえたつ姿はみさき公園のシンボル的存在でした。同じく絶叫系の遊具である
パイロットはスポーツランドの中腹、小さなステージがあった場所位にあったと記憶しています。新こうや号(古いですが一般車を利用した臨時こうや号に対し
新こうや号と呼ばれていました)はタンチョウがいた辺りにあり、南海ホークスの資料館にもなっていました。某園長が定年退職されるときに解体して、
この世に2枚のヘットマークは、おのおのマニアの手に渡り、後に1枚は南海では有名なマニアの方が亡くなり、ご家族の意向で天理教に寄贈されました。

動画による資料、みさき公園で貰ったビデオも用意しました。

参考文献 失われたロープウェイ みさき公園ロープウェイ    何分古い文献であり、訂正加筆がありましたらお知らせ下さい

メモリアル資料館3

こちらの写真はほとんどが展示物の模写ですので、使用の際はみさき公園の承諾を得てください

本施設は解体されますが、カラフルな動物の展示物はそのまま使用される予定です。