写真で残す 鳥羽 パールビル専門店街

2008年閉館した 鳥羽パールビルの記録ページです

現在も鳥羽の駅前に残るパールビルを出来る限り詳しく記録し、後世にその姿の全容を残す事を目的としています
閉館後は立ち入り禁止となっています。.不法侵入は厳しく罰せられます(ビルの斜め向かいは交番です)
撮影は関係者のご好意により特別な許可を得て行っています



パールビルについての詳細はWebioから転載しました

鳥羽パールビルは、鉄筋コンクリート構造2階建て一部4階建てで、敷地面積5,224 m2、建築面積3,546 m2、延床面積7,200 m2の商業ビルであった。海陸交通機関の接点となる港湾施設に求められるものとして、隣接する鳥羽港湾センターと一体的に整備され、1970年(昭和45年)7月21日に開館し、2008年(平成20年)1月15日に閉館した。 海上静一建築設計事務所の設計、構造計画研究所の構造設計、鳥羽市土木部の工事監理、奥村組の施工によって建築された。建築主は鳥羽市開発公社で、鳥羽市民を優先して各店舗スペースを分譲した。ビルの2階は鳥羽駅から伸びる連絡通路で直結していたが、開館時点では連絡通路はなく、その建設を見越した設計を行っていた。鳥羽駅からの連絡通路と直結する館内通路(幅員4 m)を基幹として、幅員3 mの通路がこれに直交する通路を設定し、1階には複数の出入り口を設けた。港湾センターと同じく大スパンの架構が意識されている。外壁は打放しコンクリートにペンキ塗装を施していた。 開館時点では66店舗あったが、閉館時には37店舗に減少していた。テナントは真珠店、土産物店、飲食店などが主で、パチンコ店や薬局もあった。2006年(平成18年)10月に管理組合の臨時総会で「閉鎖やむなし」の意見が大勢を占め、2008年(平成20年)に閉鎖した。出店者の一部は鳥羽市内で移転し、営業を続けた。 パールビルは鳥羽一丁目2383番地5にあり、佐田浜地区のほぼ中央に位置するため、佐田浜再開発にとって最重要課題となっている。閉館を決定した直後はビル解体後に新施設を建設するか否か検討するという方針であった。2007年(平成19年)5月には、とばみなとまちづくり検討会議により「市が購入」、「民間が購入」、「民間の購入後に市有地と交換」の3案が示されたが、利害関係者への相談なしに提示したため反発が起き、廃案となった。続いて2011年(平成23年)7月、鳥羽市は管理組合に現状のままで1億3800万円、更地にすれば3億5000万円で買い取ると示唆したが、実現しなかった。さらに2017年(平成29年)2月にはパールビルの売却に向けて組合員の8割が承認し、交渉が大詰めを迎えているという報道がなされたが続報はなく、同年6月16日に津地方裁判所伊勢支部はパールビルを競売にかける旨、公告した。2019年現在も建物は未利用のまま現地に残されている。


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