メモリアル資料館

カラフルな動物型遊具がが並び撮影スポットとしても人気です

カラフルな動物型遊具が並んでいますが、元は仲良しの2頭の象が居た象舎でした。
以下、この施設が出来た経緯を当時のポスターより書き写します。

ご来園いただきましたが、ゾウをご覧に入れることができず、誠に申し訳ございません。1957年の開園時にタイから来園して以来
ずっと飼育してきた”イズミ”が2004年5月に、”ミドリ”が同年12月に、心不全により亡くなり、当園ではただいまゾウの飼育展示を
行っておりません
2頭は、人なっこくお客さまからも大変愛されておりました。遺体については、”イズミ”は骨格標本に、”ミドリ”は大阪自然史博物館に
寄贈され、学術研究や社会教育にいかされます。現在、アジアゾウは大変少なくなり、ワシントン条約付属書T類により、
輸出入が厳しく制限されており、ゾウの飼育再開できるかなどを検討し、”ゾウのいないゾウ舎”を現在までご覧いただいておりました。
当園は、上野動物園園長をしておられた古賀忠道博士が、建設指導された最初の動物園とされております。第二次世界大戦中の
上野動物園では、東京都長官から万一に備えて猛獣を処分する命令を受け、ゾウの”トンキー”たちも餌をあたえず飢え死にさせることになりました。
”トンキー”は芸の仕草でで餌をねだり、飼育係がかわいそうに思って与えたわずかの餌で、1943年9月23日に死ぬまで
30日間生きながらえたといいます。
その頃、軍の獣医の仕事についていた古賀先生は、このことを聞かれると大変悲しい思いをされ戦後
”動物園は平和なり 動物園の復興こそ、平和の象徴 ”として力をつくされました。みさき公園は古賀先生の設計による
”ゾウのいないゾウ舎”をそのままご覧いただくことと、このような歴史のヒトコマをご紹介することで、古賀先生の平和への
切なる思いをお客様にお伝えしたいと思います。
”ゾウのいない動物園”お客様のご理解をお願い申し上げます。    とあります。




現在内部には入れません

パート2は完成当時の姿